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生化夜話 第14回:あの調味料と等電点電気泳動

グルタミン酸だけかけてもおいしくはないんですけどね

1897年、ハロルド・ピクトンとアーネスト・リンダーは、「溶質の電気による移動」なる実験結果を発表しました。溶液に電流を流すとイオンが動き、その移動によって対流が起こるのを、色素を使って可視化するという、現代の化学に慣れた目で見れば、何とも素朴でかわいらしい実験です。その際、長時間電流を流し続けると、イオンの動きとは逆方向に色素が動く場合があることが観察されました。

実験を行った二人は、この現象についてさらに調査することはなかったようですが、どうやら長時間の通電によって溶液中にpH勾配が形成され、それによって色素が動いたものと考えられます。等電点電気泳動の開発に多大の功績があったハンス・リルベが後にまとめたところでは、記録に残っている中では、この実験が最初の等電点電気泳動になるようです(実験を行った当事者の意図とは関係ありませんが)。

明確な意図をもって等電点電気泳動を行った最初の研究者は、なんと日本人です。池田菊苗が開発した、グルタミン酸ナトリウムの精製法の中で、等電点電気泳動が使われています。グルタミン酸ナトリウムといえば、日本が世界に誇るうまみ調味料です。その第一号「味の素」の開発者が池田菊苗です。1908年の調味料としてのグルタミン酸ナトリウムの特許には出てきませんが、1911年に成立したグルタミン酸ナトリウムの精製方法についての特許では、溶液の電気分解(によって生じたpH勾配)を利用して、酸性アミノ酸を分取する方法が記述されており、装置の略図も載っています。意図的な等電点電気泳動の記録としては、この1911年の池田菊苗の特許を最初の例とするのが適当ではないかと思います。なお、この特許は1912年にアメリカでも取得されており、一部の文献ではこれを指して等電点電気泳動の最初の記録としている場合もあります(1911年の特許は日本語で書かれた日本特許ですが、1912年の特許は当然英語で書かれていますので)。

基礎化学と応用化学の両方に強かった池田菊苗ならではの発明ではありますが、池田自身は基礎化学の研究よりも化学を社会に役立てることを重視していたためか、この現象の原理を深く追求したり、体系化したりはしなかったようです。

それから20年近い年月が流れた1930年、ロバート・ウィリアムズとロバート・ウォーターマンが、両性電解質が等電点に向かって移動するという等電点電気泳動の原理を論文に記しました。これにより、一般には等電点電気泳動の創始者はこの2人ということになっています。

ただし、電気分解によって溶液中に自然にできるpH勾配を利用する方法でしたので、この時期の等電点電気泳動の分離能は低く、例えばアミノ酸を酸性、中性、塩基性にわけるといった利用法がせいぜいでした。ウプサラ大学のティセリウスは、門下生の一人であるハリー・スヴェンソンに手伝わせて、何とかタンパク質の分離に使えないかと試していますが、中性付近の水の伝導度の低さに起因する加熱が大きな障害となり、結果は芳しくなかったようです。ただし、等電点電気泳動への関心はスヴェンソンが引き継いで、やがて大きく花開くことになります。

未知なる化学に担体を求めて

等電点電気泳動を用いた研究に適したpH勾配を人工的に作ろうとした研究者もいました。その中で、比較的成功したのはアレクサンダー・コリンでした。コリンは垂直なカラムの中に、pH、伝導度、密度の勾配をつくることに成功しました。しかし、コリンの勾配は泳動は速いのですが、安定性が低く電流を流し続けると勾配が崩れやすいのが問題でした。コリンは、この後、等電点電気泳動法の開発には関与していないようですが、後に等電点電気泳動の理論を確立することになるスヴェンソンを大いに触発したという点で、等電点電気泳動の歴史上重要な研究ではないでしょうか。

ウプサラ大学を離れてストックホルムのカロリンスカ研究所に移っていたスヴェンソンは、このような人工的な勾配と、電気分解によって溶液中に自然にできる勾配の長所と短所を比べて、自然に形成される勾配の方がまだ実用的であるとの結論を、1961年に発表しました。

スヴェンソンは上記の1961年の論文を皮切りに、等電点電気泳動の原理・理論や、等電点電気泳動装置の仕組みについての多数の研究結果を発表しました。1962年には、実際に等電点電気泳動装置を製作してヘモグロビンを分離した結果を報告しています。こうして、彼の一連の論文により、等電点電気泳動の理論と装置の基本形が確立されたのですが、その中でより明確になったのは、等電点電気泳動に欠かせない両性担体として使える市販の化合物は種類も性能も十分ではなく、この問題が等電点電気泳動の発展の足かせになっている、ということでした。

ところで、生化学の大家ティセリウスの門下生とは言っても、スヴェンソンの専門は物理(特に光学)と物理化学でした。東京大学の平井がティセリウスの電気泳動装置の組み立てに挑戦した際に光学の助教授をして「昨夜一晩うんうんいって考えてやっとわかった」と言わしめた芸術的な光学系(「第13回:なお、この泳動槽は自動的に分解する」を参照)を考案したのが、このスヴェンソンです。ただし、スヴェンソンは設計担当で、実際の制作は同僚のフィルポットの仕事でした。

スヴェンソン自身も何とかならないかと、いろいろ試してみてはいましたが、アミノ酸、ペプチド、加水分解したヘモグロビンなどを試すのがせいぜいで、人工的に担体を合成する研究には手を出していません。後にスヴェンソンが書いているところによると、スヴェンソンのグループは彼自身を含めても3人の小さなチームで、人手の関係からまったく未知の化学合成にまで手は出せなかったそうです。しかし、ここでもスヴェンソンは優秀な仲間に恵まれました。1963年、化学を専門とするウーロフ・ヴェステルベリがスヴェンソンのグループに加わり、彼が等電点電気泳動に最適な両性担体の探求を引き受けました。それから程なく、スヴェンソンはカロリンスカ研究所を離れて、ヨーテボリ大学の教授になってしまいましたが、ヴェステルベリはカロリンスカ研究所で研究を続け、翌年、炭酸残基とポリエチレンポリアミンのカップリングで、ポリアミノポリ炭酸のさまざまな異性体を合成することに成功しました。

ヴェステルベリが合成したポリアミノポリ炭酸の異性体は、さまざまな等電点を有し、緩衝能は十分に高く、水によく溶け、260 nmの吸光度が低く光学系での検出の邪魔にならないという、等電点電気泳動の両性担体として大変良好な性質を持っていました。

ヴェステルベリの優れた人工担体の結果を知ったスヴェンソンは、彼のチームで進めていた担体に関する検討を打ち切ってしまいました。スヴェンソンの潔さと、ヴェステルベリの担体の高性能ぶりが伝わる逸話です。

世界で最初の、、、

ヴェステルベリの両性担体の合成から少々時代を遡ります。1943年、スヴェドベリとティセリウスによって、LKBという会社が設立されました。この会社はウプサラ大学の生化学における研究成果を製品化することを主な仕事にしていました。世界で最初のフラクションコレクターなど、タンパク質の分離・精製関連で、多数の「世界で最初の製品」を発売しています。スヴェンソンは、ウプサラ大学の卒業後、カロリンスカ研究所に加わる前の一時期、このLKBで製品開発に携わっていました。退社後も、LKBとスヴェンソンの交流は続いており、カロリンスカ研究所でスヴェンソンが制作し、スウェーデン国内誌に広告を出した等電点電気泳動カラムも最終的にはLKBが発売しています。その等電点電気泳動カラム発売の際に、優秀な担体ができたらLKBが製品化するという約束も交わされ、スヴェンソン経由でヴェステルベリの発明を知ったLKBは、その両性担体をAmpholineという名前で製品化し1967年に提供を開始しました。

それまで遅々として進まなかった等電点電気泳動の実用化は、スヴェンソンの理論研究とそれを形にしたヴェステルベリの両性担体によって一気に進み、1970年代はじめには世界各地の研究室でタンパク質研究の重要な手法の1つとして採用されるようになりました。


余談になりますが、Ampholine発売の次の年、1968年にスヴェンソンはリルベに改名しています。スヴェンソンはスウェーデンでは非常に多い姓で、しかも「平均的なスウェーデン人の男」といった意味でも使われることがあるそうです。そのため、彼はスヴェンソンという姓が嫌いだったのです。

なお、この時期に彼はかなり年下の女性と再婚しており、スヴェンソンという姓を好まなかったのはその夫人の方だった、という噂が彼の友人の間で流れたそうです(本人に直接確認した人がいないため、真偽のほどはわかりませんが)。

謝辞

味の素の製法に関する調査では、味の素株式会社 棗田眞次郎氏にご協力をいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

参考文献

  • 日本特許 第14805号 (1908)
  • 日本特許 第19375号 (1911)
  • US patent 1015891 (1912)
  • Svensson H., Isoelectric fractionation, analysis, and characterization of ampholytes in natural pH gradients. I. The differential equation of solute concentrations at a steady state and its solution for simple cases, Acta Chemica Scandinavica, vol. 15, 325-341 (1961)
  • Vesterberg O., Synthesis and isoelectric fractionation of carrier ampholytes, Acta Chemica Scandinavica, vol. 23, 2653-2666 (1969)
  • Rilbe H., Historical and theoretical aspects of isoelectric focusing, Annals of the New York Academy of Sciences, vol. 209, 11-22 (1973)
  • 高木俊夫, 電気泳動の歴史, バイオサイエンス最前線′97増刊号, アトー株式会社 (1997)
  • Vesterberg O., In memory of Harry Rilbe: an outstanding scientist who made many valuable contributions to the development of electrophoretic methods, Electrophoresis, vol. 19, 1521-1524 (1998)
  • Righetti P. G., Simo C., Sebastiano R., Citterio A., Carrier ampholytes for IEF, on their fortieth anniversary (1967-2007), brought to trial in court: the verdict, Electrophoresis, vol. 28, 3799-3810 (2007)
  • Jan-Christer Jansonより私信

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